39歳・44歳で両側乳がん✤脂肪吸引&脂肪注入で乳房再建ブログ

39歳で乳がんがわかり右胸を全摘出しました。 現在、脂肪注入による再建中で2度目の手術を終えたところです♪ 全部で3回脂肪注入する予定で、現在3回目の分の脂肪細胞は冷凍保存されています。 脂肪による再建は情報が少ないので、できるだけ詳細な情報や実際のお写真を上げていきたいです^^ 再建や脂肪吸引、脂肪注入での豊胸や美容整形を考えている方、経験された方、同病の方やそうでない方、いろいろな方と繋がれたら嬉しいです♪ コメント大歓迎です^^

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今日の記事は、こちらの記事の続きです▶️http://hangy.livedoor.blog/archives/6239169.html



次男(当時小2)になんて返せば良いのか考えてみると、自分としては「ああ、そうだ!」と、納得できる考えに至りました。
だからそれを早く次男に(そして長男にも)伝えたい!と思い、翌日次男に話しかけました。

私「昨日次男さ、『死んだら私が一人ぼっちになっちゃうから後を追う』って話してくれたじゃん?」

次男「そうだっけ?」と顔を合わせず、体の向きを変えて私に背を向け漫画か何かに目を落としました。

「その話は聞きたくない」という合図でしょう。

でも、私は続けました。

私「お母さん、何も言えなかったから、『なんて答えればよいんだろう』って考えたんだ。だから聞いて?」

漫画に目をやったまま無言の次男に話を続けました。

私「前さ、女の人は、お母さんのおなかにいる赤ちゃんのときから卵のもとを持ってるんだよって話したじゃん?(※女性は卵子のもととなる原子卵胞を胎児の時から持っています。)だから、お母さんと次男はお母さんが生まれる前から、ずっと一緒にいたんだよ。それで次男が生まれてからもこうしてずっと一緒にいて、一緒にいろんなことをして、いろんな話をしてきたでしょう? だから、もうお母さんの一部は次男の中にとけこんでるのか、かけらみたいにあるのかわからないけど・・・。お母さんの一部はもう次男の一部になってると思うんだ。だから、もし死んでも、次男の一部になってるからこれからもずっと一緒で、お母さんも次男もひとりぼっちにはならないよ。」

次男は布団に潜り込んで、布団をかぶったまま「それだけ?」と返事をしたので、私も「それだけ。」と答えてその場を離れました。
しばらく次男は布団から出てきませんでした。

癌になってから2年半、新型コロナで休校が続いて「来年はどうなるんだろう?」と思うようになったという次男(現在小5)。
最近、「来年も、再来年もハンちゃんは次男と一緒?」と聞いてきます。
ずっと一緒です^^

乳がんがわかった日、次男(当時小2)はめずらしく風邪気味でした。
長男に話したあと、隣の部屋にいておそらく会話が聞こえていたであろう次男にも伝えると、話の途中で次男は「トイレ行かせて」といってトイレで吐いてしまいました😅
入院したその日も、まだ何の処置もうけず普段通りの姿の私でしたが、次男は「入院している母親」を見てショックだったようで泣いてしまいました。
ごめんよ・・・。
(翌日からガラッと強くなり、ドレーンの廃液測定も動じずに見ていました😳)

その後「もしかして、お母さんが死んじゃうかもって思ってる?」ときくと「そこまでは思ってないよ~。」と笑った次男。
その笑顔をみて(あ、これはちょっぴり心配しているな)と思いました。

そんな少しナイーブな次男にも、私の病気を通していろいろ変化がありました。

まずは私が仕事に行くとき。
それまでは「がんばって~。」だったのが「死ぬなよ~。」に変わりました。
私は元気に「死なないよ~♪」といって家を出ていくようになりました。

その後、私の手術も終わって退院して仕事に復帰するようになると、次男の見送りの言葉は「無理すんなよ~。」に変わりました。
次男なりに、状況がわかっているんだなぁと感じました。(そして少しかっこつけてる笑)

そしてある日のこと。
私がお腹を壊していて「ぎゅるぎゅるぎゅる~」と大きな音がなった時。
次男「大丈夫か?死ぬなよ。」
私「お腹壊しただけ、死なないよ(笑)。」(大げさだなと冷笑。)
次男「死んだら後を追うぞ。」
私「追わないでよ(笑)。」(何言ってるんだろうと思った。)
次男「…だって、そうしないとハンちゃんがひとりぼっちになっちゃうじゃん。」


この日の夜、お布団に入ってから次男とのこのやり取りを思い出しました。

「私が死んだら後を追う」と次男が言ったのは、自分がさみしいからではなく私が一人ぼっちにならないようにと考えてくれたんだなぁと思うと涙が出ました。

それに対して私は何も言えなかった。

なんて返してあげればよかったんだろうと考えました。

続く。

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