乳がんってわかると、仕事のこと、家庭のこと、そして治療のことなど、決めなければいけないことが怒涛のように押し寄せます。

私は39歳の夏の終わりに癌に気づきました。
(そのときのことはこちらです▶️ http://hangy.livedoor.blog/archives/5961184.html

乳がんがわかってから、仕事の調整や病気や治療についての情報収集で、この頃は2時間睡眠とかもザラというまさしく「考える暇もない」日々でした。
それでも自分のことだから、なるべく情報を集めて自分の気持ちを整理して納得のいく治療を受けようと思い、今思えば「決して流されないように、ひとつひとつ自分で納得して決める」と考えていました。

毎回質問ノートを手に診察を受け、先生のお話をメモしていました。先生は私にとって本当に信頼できる医師で、毎回じっくり話し合ってくださり、わからないところはわかるまで、まるで大学の講義のように教えてくださり、私が聞きたいことを聞き終えても毎回「他に聞きたいことない?」と穏やかに投げかけてくださいました。

私は右胸を全摘しましたが、検査の過程で「全摘しかない」→「温存でもいける」→「再建を考えて全摘」となりました。

最初に「全摘しかない」となった日の長男(当時中2)との会話は今でもよく覚えています。



通院のある日は、私が帰宅すると玄関まで出迎えてくれて「どうだった?」と結果を聞いてくれていた長男。

癌がわかって大学病院に転院することになった日の帰宅後は
👩🏻「乳がんだったから手術することになると思う。」
🙍🏻‍♂️「いつ?なるべく早い方が…。」
👩🏻「病院の都合もあるからまだわかんない。〇〇ちゃん(親友)は『明日にでも受けて欲しい』って🤣」
🙍🏻‍♂️「(うなづいて真顔で)今日でもいいよ。」

こんな感じで「なるべく早く良い治療を!」といったスタンスの長男でした。

全摘するしかないと言われた日の帰宅後は
🙍🏻‍♂️「どうだった?」
👩🏻「…全摘するしかないって。」
🙍🏻‍♂️「そっか…。」
👩🏻「私はやだ。」
🙍🏻‍♂️「やだって💦ハンちゃんの気持ちはわかるけど💦お医者さんも看護師さんもハンちゃんのこと一所懸命考えてくれて、1番いいようにって思ってくれてるんだから…だから…胸がないとやだってわがまま言わないで、…わがままじゃないけど…。」と一所懸命言葉を探して私を納得させようとしている長男。
👩🏻「わかってる!」
👩🏻「そんなことは全部わかってる!」
👩🏻「先生も看護師さんもみんなみんな、良くしようと考えてくれてることはわかってる!」
👩🏻「胸を失うことだって…!目が見えなくなる人、耳が聞こえなくなる人、腕や脚を失う人…いろんな人がいて!そういう人たちに比べたら胸を失うことはなんでもないってこともわかってる!私はもう子どもも産んだし授乳だってしたし!」
👩🏻「でもくやしいよ。私は若い頃からずっと検診に行ってたよ!?まだだれも検診に行かないような若い時から自分で行ってた!でも私は自分でがんに気がついて、そしたらもう全摘するしかなくて。周りにはまだ検診すら行ったことない人も沢山いるのに、気をつけていた私が胸を失わなきゃいけないなんてくやしいよ!!」と声を荒げました。
すると、長男🙍🏻‍♂️「…ありがとう。」
👩🏻「!?」
👩🏻「なにが!?(怒)」
🙍🏻‍♂️「素直な気持ちを聞かせてくれて。」
👩🏻「…。」
👩🏻「わーん!😭😭😭」(大泣き)

母として気丈に振る舞うとか、明るく振る舞うとかもなく(基本的には一般的な患者さんより私は相当明るいようですが)、なんとか納得させようとしてくれた子どもにむかって、自分のくやしさをさらけ出してぶつけました。
それに対して返ってきた言葉や表情が、敵わないなってくらい大人だったので、なんだか泣いてしまいました。

癌だとわかっても泣くことがなかった私も、胸を全摘することは泣きたかったのですね。
それを自覚するまもないまま、吐き出してぶつけてしまった気持ちを、長男は受け止めてくれて、泣かせてくれました。


どっちが親なのかわからないくらいだったね。
ごめんね、ありがとう。